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2015-12-03

闘病記 退院しました


本日、12/03 をもって予定通り退院しました。先程、ほぼ三ヶ月ぶりに家に帰ってまいりました。猫さんが覚えていてくれるかどうか心配でしたが、シャーもフーも無く頭をこすりつけて来ましたので忘れ去られてはいないようでした。

これで闘病記も一応お仕舞い。実際にはお家でのリハビリ(まあもう困らないレベルですが)と再発防止のための生活の始まりです。脳出血は再発率が高く、一説には五年で50%に達するのだとか。まあ、高齢によるものは仕方ないとして、生活習慣に依るところが大きい病気です。再発防止に勤しむのが初回の脳出血で生き残った人の義務っていうものでしょう。

また救急搬送、急性期病院、リハビリ病院のスタッフの皆々様、お世話になりました。ちなみに急性期病院は横浜労災病院、リハビリ病院は新横浜リハビリテーション病院でした。

2015-12-02

闘病記 後遺症


もう日常生活には支障が無く、(体力が回復すればですが)復職可能だ、というレベルに達したの、という判断で、明日退院となる訳ですが、一部後遺症は残っています。この病気(脳幹出血)やった以上、すべてが以前と同じということはありえない、と医者に言われたように、リハビリで相当回復しても直りきらないものが残りました。退院後の生活のためにも残った障害をリストアップしておこうと思います。

先ずはなんて言うのでしょうか、バランスをとる力、能力が低下して転びやすくなりました。そもそも最初は立って居られないレベルだったのが、普通に歩ける(但し外出時は転倒防止の為、杖携帯)までは復帰したのですがね。発病前に比べるとあきらかに安定性は低下しました。

それに、全般的に左側の体力が低下しました。ただどこそこが動かないとかは一切ありませんので、後遺症というより入院で体力が落ちたレベルでしょう。まあ、東京通勤の身には一番堪えることです。

顔というか口腔に麻痺が残りました。見た目には判らないレベルですが、口腔内、歯医者で麻酔した時のような状態です。ですが、食べるのには問題無く、別に涎を垂らす訳でも無いので、これは多少不快感が残っただけです。

目に複視が残りました。これも当初は眩暈が出る程でしたが現在は顔の正面および左側からは消えています。但し右後方を見ようとすると二重に見えて来ます。顔面麻痺のなごりで左目が追い付かないようです。まあ、これがあると運転難しいですね。脳溢血やった時には別途申請が必要になるらしいのですが、これがある限りは運転は無理でしょう。

と取り敢えずはこんなものです。ネットに書かれている脳溢血の予後の悪さから見れば、後遺症のうちに入れるのも躊躇われるレベルです。ただ退院後の生活で気を付けるべきポイントでもあります。

2015-12-01

闘病記 こんなに効くの?


退院控えた状態で贅沢かも知れませんが、リハビリってこんなに効くものなのか、という疑問がまとわりついています。現在、ちょっと見て判るレベルの後遺症は残っていません。良く見れば口腔の一部が麻痺しているのが判るかも知れませんし、右後方の視野が狭まっていまし、自覚症状としてはバランスが悪くなっているのですが、よほど観察しないと判らないレベルでしょう。

でも、救急搬送されての診断結果は脳幹の脳出血で、出血量も(CT画像からの推定)結構多かったようです。私はERまで運び込まれたところで意識を失いました。脳幹の脳出血と言われてカミさんがググったら(後で私もググったのですが)、恐ろしい記述の山です。曰く死亡率が高い(特に意識を失った場合)、曰く予後が悪い(後遺症が重い)、曰く社会復帰できる人はごく僅か。よくまあこれだけ物騒なことが書けたな、レベルです。それだけに私が意識を回復するまで、毎日見舞いに来ていたカミさん、心労が物凄かったようです。

さて、急性期を過ぎて意思が戻って見ると運良く生命維持系列の神経には麻痺はありませんでした。しかし最初は上半身を起こしていられるのは数分だけでした。病院食もベッドに凭れて食べていたのです。でもリハビリ始まって直ぐに上半身を起こしたままで居られるようになりました。最初は食事では箸が使えず、スプーンで食べていました。でも箸を使うのもリハビリのうち、と言われてこぼしながら箸で食べるようにしていたら、一週間足らずで普通に箸が使えるようになりました。

最初の頃は、車椅子で移動していました。最初からベッドからの移乗、トイレへの移乗はできましたが、掴むものがなければ立ち上がれませんでした。でも二週間程度で歩行器で歩けるようになり、一ヶ月後には杖で歩けるようになりました。最初の頃は、酷い複視(ものが二重に見える)で、目眩がしてくるため片目を眼帯で覆っていたのですが、いつの間にか正面については普通に見えるようになっていました(右後方を見ると相変わらずですが)。

当初の状況を思い出して見ると酷い後遺症が出ていたものですが、リハビリやっているうちに随分と軽減されてきました。リハビリって、ここまで効くものなのでしょうかね。患者本人がびっくりしています。周りには長いリハビリでもあちこちに後遺症残した患者さんが一杯いるのに、です。

理由の一つは麻痺の原因が神経の死滅ではなく一時的な麻痺だったのかも知れません。脳出血の後遺症は全部が全部、神経がやられたものとは限らない、のだそうです。もう一つの可能性は本当にリハビリが効いたケース。こちらのブログこんな記事にリハビリの最新理論の話が書かれていましたが、タイミングよく行なわれれたリハビリは劇的に効いてくるようです。時期的には、私のリハビリ期間に相当しますので、こっちの効果もあったかと思います。

どうやら、あちこちに、力が出なくなったり動きが悪くなったりしたところはあっても、動かなくなったり固まったりが一切無かったのがリハビリの効果を高めたようです。なるべく早い段階から取り敢えず動かしているのが効果的なのだとか。そうすると、安静期から手の運動の為にと手で握るボールを持ち込んでくれた家族に感謝です。

2015-11-30

闘病記 死神の速度


ウェブを拾い読みしていたら、物騒な記事に出会しました。普段なら笑ってお仕舞いの記事ですが、リハビリ入院中の身には他人事と言ってられない記事です。あたかも先日歩行速度を測ったところです。まあ私の歩行速度は取り敢えずは死神よりは速いようです。リハビリのお蔭です。

見た目年齢や歩く速度が寿命に影響!データで読み解く健康情報のウソホント 論文マニアの東大病院医師が解説|ニュース3面鏡|ダイヤモンド・オンライン

歩けない、動けない、体が弱る、あぼーん、という流れはよく聞くところです。でもそれが歩くスピードで決まってくる、とは初めて聞きました。確かにリハビリ病院で見ていると、リハビリの効きの良い人は歩く速度もそれなりに出ています。定性的には在ってもおかしくないネタです。

このネタ、リハビリの療法士の方に聞いたら初耳ですと。でもリハビリ的には、社会復帰の速度として1m/秒を目指すことになっているそうです。この速度は信号機なんかが想定している下限の速度だとか。日本の社会は死神よりは少々優しいようです。

2015-11-29

闘病記 お茶ですかお湯ですか


退院予定日まで一週間をわりました。病院生活も残り僅かです。さて、今日も朝食後に食堂(横はナースステーション)にお茶を貰いに行ったのですが、その時に、「お茶ですか、お湯ですか?」と聞かれました。まあ、ティーバッグ入れてってお湯だけ貰うこともあれば、お茶を貰うこともあるので、ごく普通の問い合わせなのでしょうが、私のお笑いツボに嵌ってしまいました。

私的にはこのセリフは「湯屋番」の女将さんセリフでして、「三杯目にはそっとだし」とかを連想してしまうのでした。

意外とこのセリフは広まっていないのかなとググってみると、「お茶ですかお湯ですか」だと飲み物関係のアンケートとかが普通にヒットしていました。これだけなら一般に使われているって言うことですね。ところがそれにキーワード「若旦那」を付けたら検索結果は落語だらけに。ということで、「お茶ですかお湯ですか」には「若旦那」を混ぜてはいけない、ようでした。

2015-11-28

闘病記 クリスマスツリー


リハビリルームから戻って来たら、ナースステーション前というか食堂でクリスマスツリー飾り付け中でした。入院が長期に渉るひとが多いからでしょうか、季節に合わせての飾りものがこまめに入れかられています。私が転院して来た頃は中秋の名月の飾り付けでした。そしてハロウィンの飾り付けになってもうクリスマス。随分と季節が過ぎたものです。

もう11月も終盤ともなると、町中はもうクリスマス一色でしょうね。年内の退院を目指している人には、いい励みになることでしょう。クリスマスには家族と共に過ごしたいものです。その所為でしょうか、12月も近づいて来たら食堂仲間の皆様の退院予定を聞くようになってきました。クリスマス、正月はお家で、という思いが励みになっているようです。

2015-11-27

闘病記 My 杖


退院に備えてMy杖を買って貰いました。元々、というか大抵の人は杖には縁がないかと。私も杖を売っているところというとダイアゴン横丁のオリバンダーの杖店しか知りませんでした。ファンタジーの世界に買いに行く訳にも行かないし(でもUSJには実在するらしい)、あの店で扱っているのは歩行用の杖とは別物ですし。

という訳で入院中の私はカタログとアマゾンで、家族には売っていそうなところを見てきて貰いました。さすがはリハビリ病院でこういう福祉器具のカタログは揃っています。アマゾンでは「一本杖」で検索掛けると色々出てきました(まあ、ハリーの杖やらスネイプ先生の杖なんていうのもヒットしましたが)。

カタログでもアマゾンでも杖は一杯ありはするのですが、杖の模様が違っているばかりで、モノ的には意外と種類は少ないようでした。素材的にはアルミ合金、マグネシウム合金、カーボン、そして天然木、といったところですかね。でも素材が違っていても重量は大差ありません。なのにお値段はたっぷり差がついています。なら一番安いアルミ合金製で充分かなと。

おまけにカタログもアマゾンも通販の形になるのに、必要な情報、サイズの合わせ方とか耐荷重、が記載されていません。一般のお店だとホームセンターの類で扱っていましたが、選ぶ程の種類はありませんでしたしほぼ定価販売でした。

こういう状況でどこで買おうかと結構悩んだのですが、意外な盲点で病院の売店には杖が置いてあるんですね。基本リハビリで使っているものと同タイプ、おまけに見て確認できますし、種類というかバリアントも色々です。まあ、模様に関しては数種類しかないのですが。でも単色の杖については充分な品揃えです。

ということで結局ですが病院の売店でリハビリで使っている杖のスリムタイプ(細く軽量、耐荷重小)を購入しました。これで退院準備その1のMy杖が用意できました。退院までにはMy杖でたっぷり練習しておきます。

2015-11-26

闘病記 定期検診


他の病気、癌手術後の定期検診を受けている最中に脳溢血になったので、前回の定期検診は急性期病院入院中に(同じ病院の別診療科)受けたのですが、その二ヶ月後の定期検診はリハビリ病院入院中に受けることになりました。退院予定が直ぐなので、スケジュール調整で退院後にもできたのかも知れませんが、定期検診の予定組んだ時には、退院など予定に入っていなかったものですから、結果的にはリハビリ病院退院寸前に他の病院で検診することになってしまいました。まあ、スケジュール組み直すのが面倒だった所為ですがね。

とういうわけで今日は朝から別の病院(まあ近所ですが)にお出掛けです。さすがに一人では出して貰えず家族の付き添い付きです。といことで家族の迎えを待ってのお出掛けです。病院関係者無しで病院から出るのは入院以来二ヶ月ぶりです。

まあ、前置きは大袈裟ですが、普通に病院のシャトルバスに乗って最寄駅まで、そこからは歩きで検診の病院まで行って来ました。今日の検診は、血液検査、尿検査、それに膀胱鏡検査と中々にヘビー、待ち時間を含めてざっと四時間掛かりでした。帰りは時間ぎりぎりとなりタクシーでの帰還となりました。出発から帰還まで約四時間、入院中の身には中々の冒険でした。

ただ、こうやって半日過ごして見ると結構きついものがあります。退院したら直ぐに復職、と思っていましたが、さすがにそれは無理かも。まずは家からのお出掛け練習を繰り返すことになるでしょう。

2015-11-25

闘病記 リハビリ用PC


今日のリハビリでADLコーナーの前を通り掛かったら机に液晶モニタにフルキーボードが置かれていました。社会復帰を目指す患者さんが、リハビリでPCを使えるようにしたいという希望が結構あるようで、私の時には古くなったノートPCでリハビリしていましたが、ついに専用機が入ったのか、と感心したのですが、よく見ると何か変です。

よく見ると、モニタ、キーボードが繋がっている先は表示部の無くなったノートPCでした。しかもちょっと前にリハビリで使っていたノートPCですよ。私がリハビリで使っていた頃から表示部のヒンジがもげかかっていましたが、ついにもげてしまったようです。そしてそんな状態になってまで、リハビリ用PCとして稼働中と。思わず泪してしまいました。

2015-11-24

闘病記 減塩食


聞くところによれば脳出血の再発はかなりの高確率になるのだとか。どういう統計ベースなのか明記されていないので、どう評価したらいいのか不明ですが、一年で20%、三年で30%超、五年で50%越えとかいう記事もありました。再発予防の情報なら、今迄通りの生活だと再発率これだけ、こういう予防をすると再発率がこれだけ下がる、という情報を探したのですが、あまり無いですね。人命に関わる病気なので対照群を設定する訳にもいきませんから、その手のデータは求めにくいのかも知れません。

ただどなたも再発率が高いという点については異論が無いようです。特に高血圧性の脳出血の場合、発症する条件からして再発率が高くなるのは如何にもといったところでしょう。患者的には生活改善でどれだけ再発率が下がるのかを気にしたいところですが、これについては統計データが無いようですね。でも生活改善しなさい、は皆の一致した意見です。

生活改善のポイントは以下の点。
高血圧症
高脂血症
糖尿病
まあ、生活習慣病の揃い踏みですね。

私の場合は露骨に高血圧性脳出血(ERに担ぎ込まれた時点で血圧200越えだったらしい)ので高血圧対策が最優先事項になると思います。でもって高血圧対策というとすぐに出てくるのが減塩です。ただですね、どの程度のものが減塩食になるんでしょう?食塩相当量の目安はあちこちに出ていますが、料理に適用した場合にどの程度の味になるのか見当が付きません。

そこでふと思ったのが、病院の食事はどうなっているのかな、という疑問です。明らかに塩分過多になるのを避けた料理ですが、メチャクチャ塩分を削った感じでもありません。ものによってはお家のご飯よりも塩がきついものもあります。そこで早速聞いてきました。それによると普通食で一日の塩分9グラム、高血圧要注意の人用の食事でが塩分6グラムの設定になっているとのことでした。それでこの味付けレベルなら、家のご飯は9グラムよりは少なく6グラムよりは多い、といったものと思われます。

どうやら家のご飯、高血圧的にはなかなかの優れもののようです。病院食より塩分は少なく、野菜、果物、豆類、食物繊維が豊富ですね。ただデンプン質、脂質についてはとっても多すぎたようですが。まあ、それでも脳出血になった訳ですが、原因は外食じゃないかな。外食だと塩分量半端ないですし。そういえば発病日の前日はカミさんお出かけで外食づくしでした。またカミさんのご飯を食べていないと(外食が続くと)体調悪くなっていました。きっと外食の塩分で血圧が上がっていたのかも知れません。どうやらカミさんに胃袋だけでなく命綱もにぎられていたようです。

2015-11-23

闘病記 リハビリは不可以已


世間では今日は休日だって言うのにリハビリ病院は今日も通常活動中です。下手に休むとせっかく動かし方を覚えた患者さんが動きを忘れてしまってリハビリがやり直しになるんだとか、リハビリは一定期間内にはよく効くのでその期間を無駄にしないためだとか。聞いたら三連休どころか、年末年始も交替制でリハビリしているそうです。まさに、リハビリは以って已むべからず、の世界なんですね。

リハビリ受けている患者としては早く家に帰れるようにして貰っているわけで、ひたすらに頭が下がるばかりです。ということで気付いて見れば約二ヶ月休み無しでリハビリに勤しんで来ました。毎日三時間のリハビリに毎日二時間程の自主トレを二ヶ月間ですよ。なんというか、久しぶりの運動です。退院しても適度な運動を続けてくださいと言われています。この歳になって運動習慣を身につけることになるとは思いもよりませんでした。

2015-11-22

闘病記 退院に向けて


退院予定が入った、ということは当初の目標値、社会復帰のレベルにほぼ達した、ということになります。でも退院までは、スケジュールの関係上まだ日数があります。せっかく専門家揃いの病院にいる訳ですから、それまで遊んではいられません。スケジュール上の退院日までにプラスアルファ分を培っていきます。

色々なリハビリの話を見ると退院後数ヶ月で舞い戻る人が結構いるみたいです。原因のひとつは調子に乗って無理をするから。これについては本人周辺が注意するしかありません。

もうひとつは転倒。リハビリやったような人はどうしても足腰バランスが弱まっているので転びやすくなっています。舞い上がってもありますが、気を付けていても転倒の危険が付いてきます。ということで、退院予定日までは転倒防止のためのバランス練習をやっています。

また、通勤に耐える体力作りも必要なところ。平地を歩く分なら相当の時間に耐えられるようになりましたが、階段昇降が混ざるとかなりきついものがあります。ということで階段昇降にも努めて、体力を培っています。

2015-11-21

闘病記 退院予定


ついに退院の話が出てきました。発症以来なら三ヶ月、転院からでも二ヶ月、長かった。それでも脳出血の入院としては随分と短かったようです。回復期リハビリには基準があるようで、病気、病状により二ヶ月〜六ヶ月が標準的なようです。二ヶ月というのは多分最短の方、足腰の関節骨折の人の標準がそれ位、脳出血は五ヶ月〜六ヶ月なのでそれに比べるとどれだけ軽かったかがわかります。

普通の病院だと退院≒病気が治った、なのですが、リハビリの場合はリハビリの担当が病院から家庭に移ることになるそうですね。なので、退院についてはご家族と相談の上で決めます、なのだそうです。言い換えるとリハビリに終わりはない、ということですね。

ということで病院側から退院日についてご相談が、と言われて、病院側とカミさん側でのスケジュール調整の結果、来月初頭の退院予定が決まりました。支払いの関係上(高額療養費は月単位)、月末までの退院が望ましかったのですが、互いに空いている日で調整したら月初になってしまったのでした。まあ、月は変わるけど、本の数日なんですけどね。余分な支払い分は私の所為じゃないからね。

2015-11-20

闘病記 血圧計


入院中は毎日血圧測定、退院しても自宅で血圧の監視が必要だとかで、家庭向け血圧計が必要になります。とりあえずどんなのがあるのかなとググって見ました。

病院では懐かしの水銀柱で測る血圧計と新しめのデジタル式の血圧計を使っていますが、さすがに家庭向けとなるとデジタル式、自動血圧計ばかりですね。まあ、音を聞いて素人には判定できないから、その辺りは機械任せにするしかないのでしょう。

ですが家庭向けの血圧計を見ていくと、上腕部のカフで測るタイプのもの、病院のと同じタイプ、と手首のカフで測るタイプのものとがあるようです(もっと別のもありますはそこらはさすがにあやしいので無視)。見ていくと、主力は上腕部で測定するタイプのもののようですが、腕に掛かるカフの圧力が嫌われていて、圧力の軽い、短時間で測定できる、手首カフのものが出てきたようですね。まあ、負荷が軽い、測定が早い、はありがたいことなのですが、値段差をみると悩んでしまいます。幸い私の場合、辛くなる程の圧力が掛かるわけではないので、普通の、お安い血圧計で充分かな、といったところです。

そうそう、手首測定タイプの血圧計には、スマホ連動機能を持っているのはありますね。データをスマホ/クラウドに送ってそちらで集計できるのが売りのようです。

家電製品ミニレビュー - スマホと連携するオムロンとパナソニックの血圧計を比べてみた【前編】 【後編】

オムロン、iPhoneでログ残せるBluetooth血圧計

でも、測るのは血圧でしょう?たいしたデータ量じゃなし測定回数もたかが知れているのに、そんな大掛かりな仕掛け、要るんですかね。目視、転記で充分だと思います。

さて血圧測定に関してこんな記事を見かけました。

NECが痛みやしびれのない血圧測定技術を開発、HDD診断技術を活用:健康:日経デジタルヘルス

血圧測定は百年前から本質的には進歩していないわけで、これが実用化されたら大進歩でしょう。でもこれ、続報聞かないけどどうなっているのでしょうね?実用化に難ありなんでしょうか?

2015-11-19

闘病記 杖よさらば


ついに、病棟内に限って、ですが、杖無しでの移動許可が出ました。まあ、病棟の外については相変わらず杖が要るのですが、格段の開放感です。まあ、このところリハビリ外の運動は主に庭歩きになっているので、運動的にはあまり変わりはありません。むしろ、同時に許可がでた階段の昇降の方が、自主トレ的には大きいですね。

普通に平地というか上下のないところ、廊下とか散歩道、を歩く分にはもう不便を感じないレベルに達しています。ですが、階段を昇る、降るとなるとまだまだ。(麻痺していた)左足の力不足を感じます。それならばこそ、自主トレで階段昇降すると左足の強化、バランス強化が実感として感じられるのです。

それに、入院してから周りを見ていると、自主トレで階段の昇り降りしていた人は大抵程なく退院しているのですよ。独りでの階段昇降は退院へのステップなんじゃないかな。そう思えば自主トレにも力が入ろうというものです。

2015-11-18

闘病記 バランスボール

リハビリも後半(だよね)になると、転倒防止のための体のバランス強化に力が入ってきています。そんなおりにちょくちょく登場するのがバランスボール。とりあえずは座っているだけでも腰、上体のバランス力が付くという優れものだとか。実際、最初に出てきた時は座るだけで一苦労していましたが、今では苦もなく座れるようになりました。

で常に一段上の練習を用意しているのがリハビリというもの、座れるようになったら片足上げてみましょう、ですと。麻痺していた左足だけで支えるのはまだ難しいのですが、健常側の右足でなら結構いけました。そうしたら今度は腕も上げ下げしてみましょうかと。ここまで来るとまだ無理でした。運動選手的にはバランスボールにのってキャッチボール、までいくそうですね。まあ、リハビリ的にはそこまでは要求していないそうですが。

バランスボールですが、エクササイズ用品としてブームになったこともあったのですよね。家にも誰も使わなくなったその頃の名残でバランスボールが転がっていました。でもこうやってみると、きっちり使えばなかなかに効果のあるものだったのですね。特に思ったのはこれ、アンチエイジングに効果あるんじゃないかなと。老化で上体を支える力が弱まっている人は良く見かけます。そういう人の上体を支える筋肉の強化にこれものすごく効きそうです。座るだけなら年寄りにも優しいしね。それとも年寄りになるとこれさえもきつい運動になるのでしょうか?

2015-11-17

闘病記 働け!


脳出血は後遺症が怖い病気ですが、私の場合、幸運なことに拘縮なんかの後遺症は無かったので、リハビリは動きが悪くなったところ(左半身がほぼ麻痺状態から)が再び動くように体を慣らしていく回復訓練がメインでした。ちなみに拘縮があるとリハビリは相当につらいものになるそうです。これについては早い段階からベッドで握るボールを持たせてくれた家族に感謝です。

さて体の動きの回復訓練というと理学療法士が、手足の動きに合わせて手を添えて来るんですよね。これってどういう意味ですかと聞いたことがあるのですが、聞いたところによれば、動き方を忘れた筋肉に動き方を教えているのだとか。それってサボっている筋肉を働かせているんですかね、と聞いたらそんなものなのだとか。それを聞いて以来、理学療法士が添える手に、働け!と鞭を振るうモヒカンのイメージが被ってきてしまいました。

ここのところは、腰からの胸にかけてのバランス練習が続いているのですが、そのたびに「働け!」という空耳が響き渡っていますんで

2015-11-16

闘病記 外出練習第三弾


今日は外出練習の最後、公共交通機関に乗る練習の日です。バス、電車に乗るとなると視界がぼやけたままではいられません。転院後使っていなかったメガネを引っ張り出してきました。モノが二重に見えるのを嫌って外していたメガネですが、ひさしぶりに掛けて見ると普通に視えるようになっていました。リハビリで視覚の方も安定して来ていたようです。

さて、外出練習は理学療法のコマを全部つぎ込んでの長時間移動となりました。バス、地下鉄を乗り継いで、その後にお店を見て回るというハードスケジュール。でも、体力が戻って来ているのか、楽にこなせました。カミさんの買い物に付き合うのに比べたら余裕です。

リハビリでエアスタ(不安定盤)の上に乗ってバランスをとる練習をずいぶんとやりました。電車はそこまでは揺れないと思っていましたが、地下鉄は揺れなくても、バスの揺れはいい勝負でしたね。それでも事前の練習の成果か、何事もなく無事に通過できました。

2015-11-15

闘病記 ラーメン談義


先日退院後の再発防止のために退院後の食事を解説する勉強会が開かれました。さすがにラーメン二郎はダメですか、と聞いたら、最近の栄養学的にはあれがダメ、これがダメ、というのは言わなくなっていて、バランス良く食べましょうね、という方向になっているそうです。結果、ラーメン二郎食べるならヤサイマシマシにしましょうね、ですと。

その後のリハビリでもラーメンの話題が出てきました。白楽に美味しいラーメン屋があったんですよ、川崎に引っ越してからは行っていないけど、ですと。ラーメン激戦区の白楽で一番、と言われたら気になります。ググってみたらこれのようですね。なかなか美味しそうな二郎インスパイア系じゃないですか。これは退院したらぜひ行ってみなさいというお勧めに違いありません。

ただこれ、果たして早く退院したいという励みになるでしょうか、それとも食事制限中の患者への悪魔の誘惑になる、こればかりは保証の限りでは無さそうです。

2015-11-14

闘病記 膝がダメなら腹筋を


昨晩トイレに起きたら左膝に痛みがはしっていました。これは入院前から偶にあること、足が布団からはみ出して冷えたか、昨日少々歩き過ぎたか、はたまた夢の中で膝に矢を受けたか、と左足を温めて寝直したところ、朝には、普通に歩く分には無問題、でも運動するにはちと痛いレベルになっていました。

リハビリ一コマ目では、膝が少々痛いというと、様子を見てみましょう、といって、足のストレッチ、マッサージです。そして膝の間にボールを挟んでスクワット、なんと痛みがでてきません。ボールを挟むと足の筋の向きが良くなるので、膝を傷めた人にはお勧めの運動方法だそうです。

リハビリ二コマ目ではずっと運動続けていればそんな日もありますよ、といって、少し膝を休めましょう、でまたストレッチマッサージです。今日は自主トレも無理しないように、というお話でした。

そしてリハビリ三コマ目。ひざの痛みを訴えたら「膝がダメなら腹筋を鍛えましょう」ですと。どこのマリーアントワネットですか。まあ、正論で三コマ目のリハビリまで膝マッサージすることもないですからね。今回は上半身をたっぷり鍛えられました。

そういえば例のセリフ、本当はマリーアントワネットじゃないとか、確か中国にも同じようなセリフを吐いた王様がいたような、と調べてみたら、Wikipediaにこんなエントリがあるんですね。

Wikipedia 「ケーキを食べればいいじゃない」

調べたいことはすべてこのページに書かれていました。

2015-11-13

闘病記 愉しいリハビリ


長いリハビリもラストスパート(だといいな)、現在は足腰上半身のバランス、筋力アップに勤しんでいます。具体的には、膝立でのバランス練習、腰、上体捻りによるバランス練習といった辺りを中心にしています。

でこの手の運動、見た目は地味なんですが、足腰腹にずっしりと響くんですよ。膝立で運動すると膝が笑い出します。腰腹の運動では腹の筋肉が捩れてきます。先日のリハビリで膝が笑うんです、と言ったら笑いの絶えない、愉しいリハビリでしょう、ですと。あの、笑っているのは膝、捩れているのはお腹の皮じゃなくて筋肉の方なんですが。微妙にズレているんですけど。

まあ、こんな記事(下記)が出てくるくらいで、リハビリは愉しければ効果も上がるようです。ですから愉しいリハビリは回復への近道でしょうから悪いことじゃ無いのですがね。

「やる気や頑張り」がリハビリの効果に影響することを証明 

今現在リハビリ中の身にはありがたい記事です。リハビリのモティベーションも上がろうというものです。

2015-11-12

闘病記 外出練習第二弾


外出練習の第二弾は、丘の上の病院からバス通りに降ってスーパーを一巡り。スーパーには迷惑かも知れないけど、人混みを歩いてエスカレーターに乗るのが練習。

丘の上からの降りは楽々、スーパーの中の移動も楽々。まあ、杖持って歩いている人が入れば、大抵は避けてくれますからね。想定上は人混みに慣れるため、となっていましたが、お昼ちょっと前ではそれほどの混雑でもなく、ゆっくりと品揃えを見て回ることができました。

ただそうなると、お昼前に美味しそうな食べ物が目の入ってきます。実は食事療法で食べ物を我慢する訓練じゃないかと思えてきました。美味しそうなハム、お刺身に切り身、納豆、お惣菜に焼き立てパン。食事制限中の患者にこれは目の毒でした。退院したら買いにくるぞと決意したのでした。

2015-11-11

闘病記 スマホ通信量制限


入院中も手放せないスマホですが、病院では時間潰しは専らスマホに頼っています。その結果と言っていいのか、今月は上旬だけで通信量制限に達してしまいました。まあ、溜まったアップデートを実行して、でかいファイルをクラウドストレージに移したんですけどね。でもLTEオンリーだとすぐに通信量制限に達してしまうのは否めないところです。

通信量制限に達すると追加転送量を買えとキャリアメイルが飛んできます。でも高々追加されるデータ量とお値段がものすごくアンバランスです。この値段で購入するぐらいならまだ通信量制限を選びますよ。さて、こういうシチュエーションだと気になって来るのがいわゆる制限無し使い放題を謳っているサービスです。

という訳で調べてみたら、出てくる出てくる、使い放題サービスは使い放題じゃない、という記事が一杯ですよ。まあ、無茶な使い方をする人がいる限り、使い放題、は危険なものです。いわゆる共有地の悲劇というやつで、適切な値段をつけないとシステムが崩壊する、っていう例ですね。そのためか、使い放題サービスも実際には制限付きになっているようです。


※カタカナでワイモバイルというと2ch用語っぽくなりますね。Y-Mobileとは全く別のイメージになります。

色々と炎上している使い放題サービスの通信量制限ですが、制限後でもYoutube1接続分ぐらいのか帯域は確保されているじゃないですか。それにキャリアの制限と違ってタイムスパンが短いようです。キャリアの制限は時間の単位が月単位と長く、また一気に100kb級に落とされるというきついもので、通常の転送速度と制限された時の転送速度に差があり過ぎです。

キャリアのいきなりの極度の制限に比べると、使い放題サービスの通信制限は相当にマイルドです。というか、キャリアでもこういう制限でオプションサービス展開してくれませんかね。追加のGB買うよりもこういうオプションの方が魅力的です。

2015-11-10

闘病記 ADLコーナー


病院のリハビリ室、ちょっとした体育館並のサイズなのですが、その奥ばった一角に和室風の建物(内装だけ)が据え付けられています。どうやら、日常的な動作を練習するためのもののようです。

和室では、床での移動や立ったり座ったりの訓練をやっています。お風呂もどきでは、患者さんが湯舟に入る訓練、確認をやっています。更には台所風の一角もあって、家事の訓練も行なっています。

病院の案内図を見たら、この一角はADLコーナーと書かれて居ました。あまり見かけない略語ですが activities of daily living の略で、日本語的には 日常生活動作 と訳されているようです。ああ、ちなみに良く似たネット業界用語の方はADSL(Asynchronous digital subacriber line)、ネット業界的にはこちらの方が見慣れた略語でしょう。

ADLはそこでやっていることまんまで、まさに日常生活でのあれこれの動作です。日常のありふれた動作ですが、麻痺した身からすれば、とても難しい動作になっています。私の場合ですと、湯舟には入れるけど出られない、和室の床に座れるけど、そこから起き上がれないという、なかなかに困った状態になっていました。

治療が病気になる前の生活を取り戻すというなら、これこそが治療の本筋っていうものでしょう。私の場合ですが、ADLコーナーでの訓練で湯舟から立ち上がれるようになりましたし、和室での立ち上がりも(少々不安定ながらも)できるようになりました。順当に以前の生活を取り戻しつつあります。

2015-11-09

闘病記 喋る自動販売機


早朝、ロビーでコーヒーを一杯、と出かけたら、ロビーで自販機が「お釣りを受け取ってください」と言い続けていました。あとで聞いたところによれば夜のうちに故障して喋り続けているとのことでした。夜の間に故障したとあっては修理を呼ぶこともできませんので、「故障中」の紙だけ貼って喋るままにしていたのだそうです。

リハビリ専門病院だけに、後遺症で注意力が低下した人もいるわけで、喋って注意してくれる自販機は決して悪いものでは無いのですが、故障した時に止められないのは迷惑です。この手の喋る機械には故障した時の為に「黙ってろ」ボタンが要るんじゃないでしょうかね。メーカーさん、その時、対処を宜しくお願いします。

2015-11-08

闘病記 膝立運動の極意


ここのところ、理学療法ではもっぱら脚、腰、腹部のバランス強化の訓練を繰り返しています。先日も、その訓練の一環で膝立ちでの運動(は腰のバランス練習)をやっておりました。その日は特に膝立ちの状態で、上半身を(というか重心を)左右に揺らす練習をしておりました。その時閃きがやってきました。重心を片足に乗せると反対側の足への荷重が減るのですね。そのタイミングでなら足が簡単に動かせることに気付きました。

それに気付いてみたら、膝立ちでの前後左右への移動が一気に簡単になりました。荷重が減ったタイミングで動かせばいいのですからね。以前に試した時は転びそうになった両膝立ちから片足を前に出す動作(和室で寝ている状態から起き上がる時の動作)も一気に簡単になっていました。

考えてみれば当たり前なのかも知れませんが、動く時って特に意識もせずに重心を揺らしていたのですね。これを思い出して意識するようになったら、今迄難しかった動作がずっと簡単になりました。序でに普通に歩く時の動作でさえもずっと楽になってきました。気付くというのは大切なんですね。頭の後ろでランプが光ったかと思いました。

2015-11-07

闘病記 外出練習第一弾


外出練習の第一弾は病院近所の神社までのお散歩です。入院以来というか発病以来二ヶ月ぶりの外出です。まあ、転院の時に一応は病院の外に出てはいるのですが、その時は病院の出口から次の病院の玄関前にタクシーで移動だったので外出したという実感はありませんでした。今回は近所と言えども歩いて移動したので、外出の実感に溢れて居ました。そうそう以前のズボンがぶかぶかでしたね。入院以来13kg体重が減っていますからね。これが一番の実感でした。

神社は本当にごく近所、病院から道路を渡って少し歩いただけで神社に到着です。神社の祭神はなんと天照大御神、田舎神社には珍しい祭神です。戦後に拓けた地域なので、神様も割合新しいのかも知れません。でも、主殿の横に摂社が勧請されて居ました。そちらはローカルな神様達でした。杉山神社が勧請されているのは超ローカルな事情ですがしょうね。

さて神社だけでは近すぎて外出にはもの足りません(まあこれが限度一杯という人もいるんでしょうが)。ということで時間一杯になるまで周辺をお散歩して来ました。病院はだいたい区界の丘の上に立地しています。お散歩して回ると二つの区の谷戸が見えるところでした。入院して居ながらも周辺には無知でしたので、良いお散歩になりました。

2015-11-06

闘病記 目指せ社会復帰


入院中のリハビリ病院では社会復帰を目指す患者には退院前に「外出練習」が行なわれます。どうやらリハビリ病院的にはヒッキーは社会復帰とは認められないようですね。転院したリハビリ病院では、外出練習として(1)近所の神社へのお散歩、(2)近所のスーパーへのお出かけ、(3)バス電車の乗り継ぎ、の三段階の外出練習が行なわれます。

さて私、歩行器から解放されたと思ったらもう外出練習の予定が入って来ました。今度の週末には神社、来週にはスーパーに、そして再来週には公共交通機関に挑戦してみましょう、ということになりました。外出練習の予定が入ってくると、退院が視野に入って来たかんじです。この調子で特に問題がなければ今月末、来月頭にも退院が実現するかも知れません。

リハビリ期の患者としては、社会復帰の最大の壁は通勤です。これは多くの患者さんがそのように感じているようですね。外出練習で公共交通機関に乗ってはみるものの、東京エリアの通勤時間に比べるとごく僅かなものです。それだけでなく、通勤時間帯の押し寄せる人混みにも、相当に怖いものがあります。残念ながら、時間、時間帯の制約で、リハビリとして実際の通勤を試す訳にはいきません。通常は、退院後に各自で通勤状況に耐えられるかどうかを試すことになるようです。

その時に、会社側で出社、退社時間をずらしてくれたり、労働時間を短縮してくれたりすると、リハビリ的にも非常にありがたい、とのことです。私の場合も、一応は時間調整しますよ、という話は聞いております。実際にどの程度に復帰できるか、こればかりは現実に通ってみないと解らないでしょう。

2015-11-05

闘病記 歩行器卒業


転院から五週間で歩行器から卒業し、杖は必要ですが、自律移動の許可が出ました。歩行器の時は病室のあるフロアー限定でしたが、やっと自由に病院内を歩き回ることができるようになりました。発病以来二ヶ月目にしてやっと手に入れた移動の自由です。

歩行器での移動許可が出た時もそうでしたが、自由に動けるとなるのは嬉しいものです。ただ、歩行器の自立移動許可時に歩き過ぎた前科がありますので、今回は最初から歩き過ぎに注意と釘を刺されました。そういうわけで控えながらも、朝起きて一歩き、御飯の後には腹ごなしで一歩き、リハビリの待ち時間に一歩き、と勝手に歩き回っています。

そうそう、杖歩行許可で病院の他のフロアーにも行けるようになりました。病院の一階フロアーには外来用の売店と自販機があります。今迄は看護師さん付き添いでしか行けなかった売店、自販機ですが、これからは自分だけで買いに行けます。リハビリでも手荷物持って病院内歩行練習、要は、売店自販機での買い物練習やっていますから、それを実際に使える時がやってきました。気持ち的にこれは嬉しいものです。

この売店ですが、入院生活で使いそうな雑貨類の他に、新聞雑誌、各種の飲み物、それにちょっとしたお菓子の類いを売っています。規模は小さいものの、そこそこの品揃です。ですが、私は相変わらずカロリー制限中の身でして、食物類は不可と釘刺されました。有難味も半減です。まあ聞いたところでは、糖尿病なんかで食事制限があるのに買い食いする患者が後を絶たないのだとか。心配する気持ちは解ります。個人的には、お茶が買えるようになっただけでも感激です。ただ、売店のお菓子の類いは目の毒です。

2015-11-04

闘病記 杖 or not 杖


転院して四週間、歩行器を使っての自律移動許可が出て三週間ともなると、歩行器を使っての移動にも相当に慣れてきました。こうなるとそろそろ次の段階の検討が始まります。そこは歩行器からの卒業になるわけですが、そこで悩みの種になったのが、杖を使うかどうかでした。

リハビリの訓練では杖を使った歩行も、杖無しの歩行も、どちらもやってはいます。ただ、この期に及んでも、また歩行時のふらつきが残っているのです。安定性を重視するなら杖付きの歩行の方が安全でしょう。しかし、杖を持って歩くのも、それなりの練習が必要になります。実際、初期の杖付き歩行練習では杖に引っかかって転びそうになりました。そうなると、杖に慣れるのが早いか、ふらつきが解消されるのが早いかという、練習・訓練の時間の問題に帰着してきます。

結局は、私のふらつきがなかなか治まらないことと、見た目には健常者と区別が付かないので、杖を持っていた方が周囲へのアピール(注意喚起)になるだろう、ということで杖付きでの歩行を目指すことになったようでう。あ、これには家のネコさんがやたらと足元に飛び込んで来たがるので、ネコ避けにも杖があるといいかも、という私の私見も考慮されたのかも知れません。息子の意見ではウチノコのことだから杖にじゃれつくかも、という説もありましたが、そこは退院してみて、ですね。

2015-11-03

闘病記 膝立練習


バランス訓練中心の理学療法ですが、膝立で前後左右への移動練習をやりました。昔のお殿様だと長烏帽子、長袴での膝行が必須技能だっあのでしょうが、今時どうして、と疑問でした。その疑問は作業療法の方で解決されました。

リハビリ室には和室を模した一角があり、日常動作の練習で使っています。で、ここで和室で寝た状態から起き上がる練習をしました。寝ている状態から上半身を起こし(ここは大丈夫)、膝立ちの姿勢になって(なんとか、かなり不安)、更にその姿勢から片足を立ててそこから立ち上がるのですね(片足上げられませんでした)。

膝立の移動、バランス訓練はこういう時のため
のものだったのですね。ということで和室で立ち上がる、というのがリハビリの差し当たっての短期目標になりました。という訳でここしばらくは、膝立バランス練習に勤しんでおります。

すごく難しい和室での立ち上がりですが、ちょっと手を添えるもの(例えばちゃぶ台)があると、相当楽になります。リハビリ室の和室コーナーにはちゃぶ台がおいてあって、起き上がる練習の時に、近くに置けるようになっていまして、立ち上がり困難な人の補助に使うようになっていました。単独では立ち上がり困難な私でしたが、ちゃぶ台に手を置くと比較的簡単に立ち上がれました。こういう補助道具もリハビリ研究の成果なんでしょうね。

そういえは和室コーナーのちゃぶ台も結構謎の存在でした。使い方が解らないうちはちゃぶ台返しの練習用かと思っていました(そんな練習あるんでしょうか?)。

2015-11-02

闘病記 飛行機が


リハビリ病院でいつものように歩行練習(歩行器付き)していたら頭上からジェットエンジンの音が。見上げてみると、メガネ無しなのではっきりとは見えないのですが、6機編隊の、多分戦闘機、どうもF/A18っぽいのが飛んでいくではありませんか。まあ、病院が、(ま家もですが)米軍空母が艦載機を厚木に飛ばす航空路の下でして(これの隣町ですからね)米軍機は良く見かけるのですが、たいていは2機編隊、6機編隊はめったに見かけません。

これは何事ぞ、と思っていたのですが、某サイトの記事を読んで納得です。横須賀の着いたばかりの空母ロナルドレーガンの一般公開があったのですね。これは入院中なのが残念、行きたかったです。もっとも人気すぎて入場制限(ロナルド・レーガン完売って、コミケじゃないんだから)が掛かったとか。いつものように
ゆっくりお出かけだと昼頃に横須賀着いてがっかりだったことでしょう。まあ、今回はあちこちの探訪記で(こことかこことかこことか)雰囲気を味わうとしましょう。





2015-11-01

闘病記 インナーマッスル


体のリハビリ、理学療法の方では、粗探しの結果、不具合が体のバランスを取る機能と左半身の筋力低下にあると判定されたようでした。そういう状況で最初に鍛えられたのが俗に「インナーマッスル」と呼ばれる、腰というか下腹部の筋肉でした。なんでも上半身のバランスを維持するための目立たないけど大切な筋肉なのだとか。ですが、直接には動かず、他の運動の余波でピクリ、といった感じで動く筋肉のようです。

理学療法士の指導のもと、なんとか動いた(らしい)インナーマッスルですが、この手の筋肉の動きには覚えがありました。遥か昔のことですが、中学時代の柔道の授業の、最初の練習でやらされた首上げの時のお腹の筋肉の動きでした。それを思い出しながらお腹の片隅をニュルリと動かすと、これが正解、リハビリ的には良い動きになっていたようでした、まさか云10年前の練習がこんなところで役に立つとは思いもよりませんでした。

こうやって理学療法でインナーマッスルを鍛えはじめたら、上半身の安定が良くなりました、立ち上がる座る動きが格段に楽になりました、歩行器で歩く時の歩幅が広がりました。そして左足での片足立ちができるようになり、歩行器無しでも(ふらつくので危ないのですがすが)歩行ができるようになりました。個人の感覚としては大進歩です。

翌週には歩行器前提ですが、病棟内の自律移動が許可されました。五週ぶりの自律移動で嬉しくて病棟内を10週歩き回りました(いきなり歩き過ぎだと怒られましたが)。翌週には病院庭への散歩も許可され移動範囲がいっきに広がりました。インナーマッスルは偉大ですね。

随分と動けるようになったおかげで、一人では危ないバランス練習の方は理学療法士の先生の指導で、まあ単純にできる体力回復の方は自主トレでとおい割り振りにしてもらって、以降ずっとバランス練習が(色々なかたちで)続いています。

で、インナーマッスルを鍛える運動ですが、カミさんや娘が美容のためといってやっている/いた運動そのままのものも結構ありました。身体のバランスだけでなく美容的にも大切なのですね。こうやって鍛えていると退院する頃には立ち居振る舞いが綺麗になっているかもしれません。


2015-10-31

闘病記 WAISーIII


リハビリの作業療法での粗探しの一環でWAIS(レイスと読むそうです)なる知能テストをやりました。本当はいいのかどうか知りませんが、作業療法の時間枠を使って、随分と時間を掛けて実施しました。テストも時間が掛かりましたが結果の計算もとても面倒なそうで、後のことを考えると頭が痛いという療法士さんの愚痴付きです。

で集計結果を見せてもらいましたが、動作性と処理速度が116で他はすべて130越え、総合指数で132とかいう結果でした。知能テストなら平均100、標準偏差が15が普通です。このテストはどういう平均、σになっているのか、気になって調べてみました。ネットで調Googleの検索窓に「WAIS」と入れたらいきなり「 ウェクスラー式成人知能検査」がサジェストされました。さすがのgoogle先生です。でもって調べてみたらやっぱり平均100の偏差15でしたね。指数130越えは「特に高い」のだそうですが、脳溢血後のリハビリで出たのはちょっと微妙ですね。

リハビリ的にはこの検査で失われた機能の有無をチェックするためのもののようで、平均以上(100以上)の指数が出ていれば問題無し、という判定になるようですね。厳密に脳溢血の影響を調べようというのであれば発症前後の指数を比較するのが筋なのでしょうが、通常は発病前の指数はわかりませんから、発症後の現状チェックとして使っているようです。

ただ、このテストでは、分野毎の数値が取れ、分野間に大きな(σ以上)の差があると障害の疑いがあるとかで。この点がリハビリ的に都合がいいのかも知れません。私の場合、注意行動と処理性能の指数が低くなっていましたから、その辺りが脳溢血の影響なのかもしれません。まあ、処理性能の低下については実感があります。でも注意力については元々低い方なのでこれは病気の所為かどうか。でも社会復帰するのは回りへの注意が健常時よりも(危険を避ける為に)必要になるのだそうです。この辺りはリハビリで訓練すべき項目になるのでしょう。

2015-10-30

闘病記 粗探し


「リハビリのはじめはまずは粗探し」※ああ帯広の方、ごめんなさい。

というわけで各リハビリともに粗探しからスタートしました。言語療法については数回チェックしただけで概ね問題無かろうということで打ち切られました。理学療法については、その時点でできること、できないこと、をテストしていきました。まあ、これには病院でどの様な介護体制が必要になるかの見極めでもあったようです。私の場合、歩行器でなら移動可能、ただし見守りが必要、という状況と判定されました。まあ、この時点では歩行器無しでは移動困難でしたから、こんなものでしょう。

因みにこの時に「転倒リスク」なるものをチェックされていたようです。なんでも56点満点で、高ければ低リスク、低ければ高リスクなんだそうで。私の場合、初期チェックでは44点で、歩行器必須の水準だったようです。でもってほぼ一ヶ月後、先日の再チェックでは50点で歩行器が不要になるレベルに達していたようです。

粗探しに一番時間が掛かったのが作業療法で、概ね一ヶ月掛かりました。まあ、チェックする事項がやたらと多いためでしょう。前半二週間で概要チェック、後半二週間で詳細チェックといった感じでした。入院時の状態としては視線の移動に視覚が追い付いていない状態で、横の紙を見ての計算とか内容の転記に困難を感じる水準でした。一応、復職を目指す私としては非常に宜しくない状況でした。ただこれも一ヶ月のリハビリで視線の移動については随分と耐えられるようになって来ましたし、一瞥で記憶できる量も随分と増えて来ました。

まあ、自主トレとしてのブログ記事書きもそこそこ効果が出ているようです。ただ発病前と比べると文章の入力速度がいくぶん低下したように思えます。

※知らない人は六花亭で「ひとつ鍋」を買いましょう。まあこちらを読めば一目瞭然かな。学生時代の友人に十勝出身者がいまして、やたらと熱く語られました。

2015-10-29

闘病記 禁酒禁煙


転院先の病院の説明にはカミさんも来ていました。カミさん、いつも出していた大辛の塩鮭(普通の塩鮭を家で塩漬けにし直すのですよ、茶漬け、おにぎりには最高!)が脳溢血の原因になったのかも、と気にしていて、脳溢血後の食事についての注意事項を聞きまくっていました。

担当のお医者さんが言うには、「絶対にこれはダメ」というような食べ物はありませんよと。ただ、血圧と体重を計りながら、それらが一定範囲に収まるように食事するようにしてください、ということでした。カミさん的にはこれで一安心したようです。私的にも一安心、入院してすぐに読んでいた記事がこれですからね。まあ、入院中、カロリー制限中の患者が見るには宜しくないシリーズです。

でもお医者さんの話には続きがあって、「でも酒とタバコはダメですよ」と続きました。今のところ、酒タバコで脳溢血発症のリスクがどれだけ上がるかはわかっていませんが、脳溢血既往の人に限っては、酒タバコは命懸けになります、ですと。

まあ、私の場合酒は無くても問題ありませんが(でも夏のビールは惜しい)、タバコはヘビースモーカー (ピース吸い) の身には結構辛い話です。とはいえさすがに入院中は吸えませんので、この時点で入院から一ヶ月、現在に至るなら二ヶ月、禁煙を通しているわけで、タバコを辞めるいい機会なのかも知れません(また値上りするようですしね)。

というわけで入院二ヶ月で禁煙も二ヶ月経っています。このままタバコを辞められるといいのですが、ちょっとばかり不安材料があるのですよ。よく、禁煙した人はタバコの臭いが臭くなったと聞きます。実はリハビリの歩行練習コースの裏手に、病院の喫煙所があるようでして、歩行練習しているとたまにタバコの臭いが漂って来るのですよね。どうも大方の人には気にならない程度の臭いらしいのですが、私にはこれがいい臭いに感じられるのです。これって、禁煙しなければいけない身にはマズイのではないでしょうか。退院するまでにはタバコが臭いと感じられることを祈っております。

2015-10-28

闘病記 目標


普通の病院では患者が退院していいかどうかの状態は基本医者側が判断するのですが、リハビリ専門病院の場合には、何を以ってリハビリの完了と看做すかの目標がは患者側の希望によって変わって来くるのだそうです。そりゃ家で療養を続けたい、という人と、元の仕事に復職したい、という人とでは目標とする水準が異なっていて当然でしょう。目標を決めるのは患者(家族)の希望、その水準に達したかどうかを判定するのが病院側の担当、という切り分けになるのだそうです。

見た感触ですが、若い人、現役で働いていた人はやはり復職を目指しているようです。一方、それなりのお年の、いかにも御隠居、という風情の人は自宅療養を目指している方が多いように見受けられます。ですが同じぐらいのお年寄りでも、女の方は家事一般ができるレベルを目指す方が多いようですね。お買い物の練習をされている方を良く見かけます。私の場合は、もちろん現役復帰が目標です。

現役復帰を目標とすると通勤という壁が聳え立って来ます。通勤に耐えられる運動脳力と体力を目指すのはなかなかに高い目標になります。とEvernoteでメモを書いていたら関連性の高い記事としてこんな記事がサジェストされました。まったく弱った体には東京の通勤事情はハードすぎです。

記事を見てみたら小田嶋さんのカラムでしたね。あれ、小田嶋さんも入院していたんだと過去記事を辿っていったら、こういうことがあったようです。足のリハビリに二ヶ月というのは標準なのでしょうかね。私の転院先でも治療期間の初期見積がやはり二ヶ月になっていました。こうして復職、社会復帰を目指してリハビリが始まりました。

2015-10-27

闘病記 転院


脳溢血で倒れて入院してから(シルバーウィークを挟んで)四週間でリハビリ専門の病院に転院しました。

最初に担ぎ込まれた病院はERを持っている、いわゆる高度医療病院なので次の緊急かつ重度の患者に備えて病室を空けて置きたい、という考えがあるようです。また病状が安定した回復期の患者は専門の病院で時間を掛けてリハビリを行なうのが望ましいというのもあるようです。という訳で発病後四週間経ったところでリハビリ専門の病院に転院しました。

転院してすぐに担当医から病状とリハビリ病院でやっていくことの説明がありました。ブログの脳溢血と麻痺ネタの半分はこの時の説明だったりします。

この先生の説明によればリハビリの最初の一歩は「粗探し」なのだそうです。まずは何処に不具合があるのかを見つけ出すのがリハビリのスタートだそうですね。肉体的な不具合はまあ、動かしてみればそこそこ判るのですが、いわるゆるADLと呼ばれる日常動作系になると、実際に色々とやってみないと不具合が現れて来ません。入院してしばらくはこのような粗探しに費やされるのだとか。まあ、言わんとするところは良く判ったのですが「粗探し」はどうよ、もう少しポジティブな言葉は無いものか、と思ったのですが、意外とピッタリ来る言葉がないものですね。結局、「粗探し」を使い続けることになりました。

さて、粗探しで不具合が見つかったら修復に入ります。脳溢血(脳出血)の場合、不具合があることが判ってもそれが神経の壊死によるものか麻痺によるものか、または単なる筋力低下かは判りませんので、基本的には治るものとして修復訓練していくのですね。まあ、神経が壊死していた場合でも、生命維持系のクリティカルなものでなければ、代用というか補完する神経や筋肉があるのだそうで、訓練すれば大抵は修復、代替が可能になるのだとか。とういうことで本格リハビリが始まったのでした。

2015-10-26

闘病記 自動販売機訓練


リハビリは、理学療法、作業療法、言語療法という3つの担当者の共同で進められていきます。私もですが、いわゆる「リハビリ」でイメージするのは理学療法でしょう。これは運動面の不具合を修復していくもので、手をひっぱたり脚をひっぱたりとするものです。言語療法は文字通り言葉に関する障害の修復です。私には出ませんでしたが、一部の言葉が発声できなくなるとか、言葉が失われるような障害への対処です。そして作業療法、これは日常の動作についての不具合を修復しようというもので、単なる運動機能よりも一段上の、高次の機能の再訓練を行なうものです。

私の場合、言語については特に問題が無い(だろう)とのことで、リハビリは作業療法、理学療法のセットでした。当初の作業療法で異様に印象に残ったものがあります。作業療法では、手を使っての色々な(まあ日常的な)動作を試して行くのですが、その中にコイン(ゲーム用のコインみたいなもの)をスロットに入れて行く訓練がありました。見た目は自動販売機にお金を入れる動作そのものです。私は勝手に自動販売機の練習、と呼んでいました。

私の場合、不具合は左半身にかたまっていたので、左手でやってみてください、と言われてやってみたら、コインをボロボロと半分がところ落してしまうのですね。これは個人的には結構ショックで、ああ、もう自動販売機使えないのかと落ち込みました。まあ良く考えて見れば、右手なら使えるし、コイン一枚で買える自販機だってあるわけですしね。この話、娘にはパスモが使える自動販売機だってあるでしょう、と力付けられましたね。

この後気付いてみると、病院の自動支払い機、小銭は受け皿に投入するタイプでした。手の動きの悪い人に配慮したものだとのことです。転院したリハビリ専門病院では、外来ロビーの自販機まで受け皿タイプのもので揃えてありました。流石です。

なお動きの悪かった左手ですが、流石にリハビリ専門病院に転院して一ヶ月経った今ではほぼ普通に使えるようになっています。

2015-10-25

闘病記 リハビリ開始


病状が安定した辺り、時期的には二週目ぐらいかな、シルバーウィークの前の週です、からリハビリが始まりました。後で調べたり聞いたりしたところによれば早くリハビリをはじめれば、それだけ復帰も早くなる、とかで早めのリハビリ開始が推奨されているようです。

私の場合には食事がお粥から通常食に切り替わった辺り、と記憶しています。最初は病棟内(病室のあるフロア)のリハビリコーナでのリハビリでした。まずは病室から車椅子で運ばれて、立ち上がる練習をしたのですが、左足がふらついて、パイプにしがみついてやっと立ち上がる始末でした。ベッドの上に座って(上体を起して)腕を横に伸ばせば、上体もそちらの方向に倒れていきます。脳溢血の影響か安静による筋力低下なのかはわかりませんが、上体の保持ができなくなっていました。

同じ頃に言語についてのリハビリも始まりました。こちらについては多少、言葉の不明瞭があったものの、これは顔の麻痺の影響だろうということで、言語分野のリハビリは早々に打ち切られたようです。リハビリ専門病院に転院してからも言語、日常系、運動系の三分野のチェックがありましたが、言語分野はチェックだけで後はスキップされたようです。

病棟のリハビリコーナーでなんとか掴まれば立てるようになったら、病院のリハビリ室(大きい病院だけあってリハビリ科がありました)に移っての本格リハビリ開始です。腕を動かすリハビリと足を動かすリハビリの二本立てで、初日は一時間のリハビリでしたが病み上がりの身にはなかなかヘビーで、リハビリの後、病室に戻って二時間寝込む有様でした。リハビリが始まってすぐにシルバーウィークでリハビリは暫しお休み(ベッドの上での手足の運動だけはやっていましたが)、シルバーウィークが明けたらした、もう急性期は過ぎたとの判断でリハビリ専門病院への転院(休みの間もリハビリ有り)を勧められました。

この時点で掴まり歩きはOK、歩行器での移動もOK、自立はなんとか可能(掴むものがあれば)、でも補助具無しでの歩行は数歩が限度、という状況でした。

まあ、上半身を起こすのに苦労していた当初からすれば日数の割にそこそこに進展があったと言えるでしょう。ある日のリハビリで、なんというか掴まり歩きのコツが掴めたようで、それから一気に掴まり歩きができるようになったのです。でも、その達成感がリハビリの指導員の方にも通じたのか、一人で勝手に動いちゃだめですよ、と釘を刺されました。

2015-10-24

闘病記 病院の食事


絶対安静時の栄養点滴から、お粥主食の病院食、ご飯主食の通常食と、順次普通のご飯に近づいていきました。どこかの国(そうメシマズで有名なあの国)では病院の食事のあまりのまずさが政治問題化したとかいうニュースがありましたが、そこは流石の日本、お味の方はそこそこの水準をキープしています。しかし量の方が何とも少ないのです。

動けるようになって廊下に張り出されているお食事メニューと見比べてみると、出てくるものは一部省かれています。気付いてみればカロリー制限食になっていたのでした。治療方針についての医者の説明の時にこの点聞いてみました。


  • 医:入院時の体重85kgは過重なのでこの機会に10kg目安で減量してみましょう(だからカロリー制限ね)。
  • 私:あの、点滴栄養の間に体重が減って現在75kgになっているのですが(カロリー制限いらんでしょう)
  • 医:ならその体重を維持するためにカロリー制限続けましょうね(ニッコリ)

ということで私の夢と希望は打ち砕かれてカロリー制限(1400㌔cal)が続くことになったのでした。入院中は、たとえリハビリがあるにしても、基本はベッドの上で安静、です。そういう意味では必要なカロリーも少なくていいのでしょうが、普段の食事量からすると感覚上は半分以下の食事です。特に晩ごはん直前ともなると、空腹で目が回りそうでした。

リハビリ専門病院に転院してもカロリー制限は続いています。ただリハビリでの運動量の関係でしょうか、現在は1500kcalのカロリー制限です。実感としては主食の御飯が一口分増えた感じです。でもこれで晩御飯前の空腹感はなくなりました。運動量増えているのでカロリー増やした方がいいかも、という話もありますが、転院以来四週間で、体重が1kg減っただけなので、カロリー的には足りているようです。

2015-10-23

闘病記 降圧剤について


脳溢血は高血圧によるものが多いそうで、基本的には降圧剤による血圧のコントロールが必要になります。入院から絶対安静期には降圧剤の点滴を受けていましたが、絶対安静が解除されて通常食になった頃には、点滴から経口薬に切り替えられました。一世代前、親の世代の降圧剤は効き過ぎた、効きが足りなかったとやたらとこまめに量を調節していたイメージがありますが、処方された降圧剤(二種類)は朝飲むだけで充分効果を発揮するものでした。

飲み出した後になってから病院附きの薬剤師さんが薬の説明に来ましたが、説明書を見ると、グレープフルーツが禁忌となっていました。直前の食事にグレープフルーツが出たところだったんですがね。以降食事にはグレープフルーツ厳禁というメモが付けられるようになりました。

さて、処方された降圧剤のひとつは「アムロピジン」というお薬。これはカルシウムチャンネル拮抗剤と呼ばれるお薬で、末梢血管を拡張して(収縮を阻害して)血圧を下げるというお薬。有り難いことに効き目が安定的で持続時間が約30時間、毎朝飲めば一日中効いている、という優れものです。これのおかげで細かな量の調整が不要になったようですね。

ただこのお薬、グレープフルーツが禁忌だそうです。グレープフルーツに含まれる成分がカルシウムチャンネル拮抗剤の効きを上げすぎてしまうのだとか。ちょっと調べてみたら グレープフルーツというかそのもとになっているブンタンの成分が問題で、ブンタン系列の柑橘類はどれもまずいようですね。ただ実際にまずくなるのはグレープフルーツジュースガブ飲みレベルの量を摂取した場合で、実際問題としては他の柑橘類で問題になることはまず無いようです。

ここでですね、宜しくない成分のひとつがベルガモチンとかいうモノでして、名前から想像できるようにベルガモンにも含まれています。でもってベルガモンとくれば紅茶、アールグレイの着香成分です。となるとアールグレイも飲めないのかとビビっていろいろと聞いて調べ回りました。まあ紅茶の着香程度なら問題なさそうです(というかお茶のカフェインの方が先に問題になるでしょう)。

処方されたもう一種類の降圧剤はオルメティックというもので、血圧を上げる体内物質の働きを阻害するタイプのもののようです。
まあ、こちらの薬についてはそこらの食べ物との禁忌はないようです。まあ、降圧剤自体の使用上の注意として血圧の下がり過ぎに注意、というのはありますが、病院で血圧を計りながら使う分には大丈夫なのでしょう。

2015-10-22

闘病記 脳溢血と麻痺


意識が戻ってしばらく、発作から約十日あたりから、絶対安静は解除されていきました。まずは束縛帯が緩められ、栄養点滴が終わって病人食(おかゆベース)に切り替わり、尿カテーテルも外されていきました。こうなって束縛がなくなってみると、食事の間、上半身を起こしていることができません。トイレには車椅子で運んでもらわないと行けません(まあベッドから車椅子、便座と車椅子の間の移動はかろうじて可能でした)。食事も箸ではできずにスプーンでないと食べられません(でも自力で食べられはしました)。どうやらこれが脳卒中による身体の各所の麻痺のようした。

さて以下の記載は、半分はあとで医者から聞いた話し(また半分は色々調べたネタ)になります。

脳溢血と書いてきましたが、Wikipedia的には脳出血にredirectされますね。こちらの方が今の用語なんでしょう。

脳出血では出血による血腫が神経を圧迫し、それによって(1)神経が壊死して機能不全を引き起こす、(2)神経が一時的に麻痺して機能不全を引き起こす、(3)療養のための安静が筋力低下等によって機能不全を引き起こす、のだそうです。

脳幹での出血では脳から延髄へと繋がる部分が圧迫を受けます。ここには生命維持のための神経も含まれていて、それらが機能不全になったならあの世にまっしぐらになるのだとか。出血によってどの神経がやられるかは全くの偶然だそうです。私の場合には幸い生命維持系統には影響が無かったようでした。

神経が壊死したケースは、これは回復不能だとか。でも大抵の機能は他の筋肉等で補償できるそうですね、まあ、訓練すれば、の話ですが。麻痺だけであれば血腫が吸収されて縮小すれば治る可能性があるそうです。ただし、これは下手すると年単位の時間がかかるそうです。筋力低下については再訓練すればまた動くようになります。ただ脳溢血の初期の段階、安静が解除された辺りでは、麻痺がどれによるものかは判別不能なんだとか。そういうわけで絶対安静が解除された辺りから即座に回復訓練、いわゆるリハビリが始まるのでした。

2015-10-21

闘病記 意識が戻ってみれば


病室で、ああ入院療養中なんだと理解できたのはERで意識を失なってから一週間後のことでした。意識を取り戻してみれば、右手には降圧剤の点滴、左手には栄養補給の点滴、下半身には導尿のカテーテルが差し込まれ、オムツで包まれてベッドに縛り付けられていました。

後で調べたところでは、降圧剤による血圧のコントロールと安静維持は脳溢血への標準的な措置なのですね。病室のベッドにいるだけで安静だと思っていたのですが、それにもレベルがあって上半身の起こせる角度まで制限される安静があったのでした。意識を取り戻した時点で私は三十度までに制限されていました。実感としてはベッドに縛り付けられた状態です。

私の記憶の中では、ベッドへの抑制は、夢の中で勝手にやられたもので、意識を取り戻すまでは何故そのままになっているのか理解できずに不思議に思っていたものです。あとでカミさんなんかから聞いたところでは相当に文句を付けて抵抗していたようです。

意識を取り戻したら最初にカミさんに頼んでスマホと充電器をもって来て貰い、溜まったメイルのチェックです(スマホ中毒の鏡だね)。でスマホを見てみると、左右の視界が重ならず(右目と左目で違う視野でものが見えるのです。気付いてみれば、顔の左半分は、歯医者で麻酔した時のように痺れたままです。どうやらその麻痺が目にも及んでいたようです。ですが、脳出血の麻痺がその程度で住んだのは不幸中の幸いというものでしょう。ちなみに口の中の麻痺は今でも残っています。視覚の異常は半分は近視遠視の度がズレた所為のようで、リハビリ中はメガネ無し(どうせ遠くは見ないし)で過ごして対処しています。退院したらメガネを作り直すことになります。

2015-10-20

闘病記 意識を取り戻すまで


さてERで意識を失ない、その後に、ああ自分は入院療養中だと理解できたのはほぼ一週間後のことでした。その間の出来事はほぼ私の記憶からは欠落しています。毎日医者が来ては、名前と生年月日、ここは何処と聞いて行ったのは覚えているのですが、ずっと何故聞かれているのかは判っていませんでした。途中病状に応じて病室を移っていたのですが、どこをどうしたのかも記憶にありません。この辺りは夢か現か判らない状態が続いていました。

この期間、カミさんと娘が毎日見舞いに来ていたのですが、家族との会話だけが現実に引き止めていてくれた気がします。ですが、あとでカミさんに聞いたところでは話しかけても全く訳の判らない、呂律の回らない、返答ばかりで、これはヨイヨイ確定かと気がきでなかったそうです。

2015-10-19

闘病記 はじまり


あれは8月末日の月曜日、月末の事務手続き面倒だな、と思いつつ朝起きて濃い紅茶を淹れて目覚めの一服を吸って(ショートピースだったりします)お出かけ前のトイレに入ったところ(こうやってみると脳卒中のフラグ立てまくり)猛烈な頭痛と吐き気におそわれました。

とりあえず家族には具合が悪いので午前中は休むといって寝込んだのですが、猛烈な吐き気がとまりません。娘が嘔吐用に洗面器を用意してくれたのですが、狙って吐くこともできません。さらに小便さえも、腰がたたずに漏らしだす始末です。ここに至って、これは只事では無いといってカミさんが救急車を呼び出しました。もう身動きできなくなっていたので、救急隊員に毛布で包んで持ち上げられる形で救急車に担ぎ込まれました。

ここでカミさんの大ヒット。ちょうど掛かりつけの脳外科があると伝えて、ちょっとばかし遠くでしたが、かかりつけの病院のERに担ぎ込まれました。こういう場合にはまずもってCTを撮るのですね。その結果、脳出血(脳幹)と判定されました。と、実は私の記憶はERに担ぎ込まれたあたりで途切れていて、それからしばらくは夢か妄想かよくわからない記憶しか残っていません。

2015-10-18

近況報告 入院中です

さて久しぶりの記事で近況報告をば。

腎臓癌手術から三年、いまだに経過観察中であるものの順調にすごしていたのですが、先日8月末に猛烈な頭痛と吐き気に襲われて身動きっできなくなり救急車で病院に担ぎ込まれました。診断によれば脳幹部の脳出血とのことでした。Wikipediaによれば非常に危険で予後も悪いものだそうですが、何とか急性期(一ヶ月)を脱し現在はリハビリの日々を過ごしております。

リハビリの一環としてPCへのキーボード入力の練習なんかもやっています。しかしリハビリ用のPCが随分と古いマシンでIMEが評判が悪かった頃の(今でもかな)MS-IMEなのです。ここしばらくはGoogleIMEを使っていたので操作的にかなり不満が高まっていました。そんなおりに娘が BTキーボード(なんと任天堂製)を持ってきてくれました。スマホのソフトキーボードでは狙ったところを押せずに入力困難なのですが、KBDがあれば入力も楽々です。これとスマホの組み合わせならGoogleIMEで入力も気分よくできるというものです。

まあ、脳出血で生き延びて、麻痺もごく軽くて、なおかつブログやっている人、となると結構珍しそうな気がします。そんなわけでリハビリの自主練習の一環として入院記なんぞをゆるりと作ってみようかと思っています。