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2015-10-21

闘病記 意識が戻ってみれば


病室で、ああ入院療養中なんだと理解できたのはERで意識を失なってから一週間後のことでした。意識を取り戻してみれば、右手には降圧剤の点滴、左手には栄養補給の点滴、下半身には導尿のカテーテルが差し込まれ、オムツで包まれてベッドに縛り付けられていました。

後で調べたところでは、降圧剤による血圧のコントロールと安静維持は脳溢血への標準的な措置なのですね。病室のベッドにいるだけで安静だと思っていたのですが、それにもレベルがあって上半身の起こせる角度まで制限される安静があったのでした。意識を取り戻した時点で私は三十度までに制限されていました。実感としてはベッドに縛り付けられた状態です。

私の記憶の中では、ベッドへの抑制は、夢の中で勝手にやられたもので、意識を取り戻すまでは何故そのままになっているのか理解できずに不思議に思っていたものです。あとでカミさんなんかから聞いたところでは相当に文句を付けて抵抗していたようです。

意識を取り戻したら最初にカミさんに頼んでスマホと充電器をもって来て貰い、溜まったメイルのチェックです(スマホ中毒の鏡だね)。でスマホを見てみると、左右の視界が重ならず(右目と左目で違う視野でものが見えるのです。気付いてみれば、顔の左半分は、歯医者で麻酔した時のように痺れたままです。どうやらその麻痺が目にも及んでいたようです。ですが、脳出血の麻痺がその程度で住んだのは不幸中の幸いというものでしょう。ちなみに口の中の麻痺は今でも残っています。視覚の異常は半分は近視遠視の度がズレた所為のようで、リハビリ中はメガネ無し(どうせ遠くは見ないし)で過ごして対処しています。退院したらメガネを作り直すことになります。

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